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医療の担い手として 薬剤師の歴史・成り立ち [薬剤師 求人]

薬剤師の原点

漢方医学がメーンとなっていた明治時代以前については、日本における薬の調合は医師が行っていました。

その頃の“薬屋”と言えば、薬草の卸問屋、あるいは売薬の製造元のことを指していました。

ヨーロッパにおいては比較的早い段階で医薬分業がスタートしており、医師が調剤することは多くありませんでした。

中世のヨーロッパにおいては毒殺が急増し、暗殺に恐怖した神聖ローマ帝国の皇帝・フリードリヒ2世は、1240年、薬事に関連した法律である『医薬分業』及び『薬事監視』を制定しています。

これを受けて、医師が薬の調合を行うのではなく、薬剤師が調合を行うことで、毒薬が混じっていないか監視を行ったのです。

これが現代における『医薬分業』の原点とされています。

その頃の薬剤師としての役割は、メーンとしては薬の善し悪しを判断するところからスタートしています。

単に薬と言いましたが、その頃の薬は東西関わらず大半が薬草です。

薬草の善し悪しの判断には相応の知識と経験が必要となることから、その頃の薬剤師の仕事の中心となっていました。


日本における薬剤師の歴史

日本にあっては、明治時代になると、1874年、『医制』を交付しました。

これにより薬舗主(薬剤師)に調剤権が付与されたのです。

以降、1889年には『薬品営業並薬品取扱規則(薬事法)』が交付されることとなり、薬剤師としての名称と職能が規定されることとなりました。

その頃はヨーロッパの医学・薬学制度の導入が推進された時代でしたが、この時点で目標として掲げられていた、『医薬分業』。

つまり、医師は診療に専念して、投薬については処方箋を発行し、医師の処方箋に基づいて薬剤師が調剤を担当する、という制度は、この頃には未だ普及には至りませんでした。

時は大正に移って、1925年になると、薬剤師の身分法である薬剤師法が交付されています。

また、翌年1926年には『薬剤師会令』が交付。

この薬剤師会令の交付により、薬剤師の強制加入を定める公法人道府県薬剤師会の設立が行われ、道府県薬剤師会が会員となる公法人日本薬剤師会が結成されました。


薬事法の制定について

それから1943年になると、薬剤師法を吸収した薬事法が制定されることとなり、薬剤師会令の改正が行われています。

これ伴って、日本薬剤師会は国の機関となり、その会長は内閣の任命するところとなり、他の中央・地方薬剤師会役員については、当時の厚生大臣、あるいは都道府県庁知事によって任命されることとなりました。

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